meronnpann1i
2006-12-29T18:40:09+09:00
meronnpann1i
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Excite Blog
続き
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2007-03-11T17:14:00+09:00
2006-03-11T17:15:00+09:00
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meronnpann1i
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民さんはしかし毎日の仕事はよくした。もっとも、牛を山へ追い上げてしまえば、牛はそこらで草を食っているのだから、たいてい日中を山で寝て暮すという。だが、酒が好きで、一杯やるときっと脱線する。二三日は帰ってこないのだ。僕のいる間にも、芭蕉イカの大きいのが獲(と)れたので、民さんはそれを持って部落のこの家の親戚まで夜に入ってから使いに出かけたが、翌日の午後になって手ぶらで帰ってきた。途中でやはり牧夫仲間の太郎というのに会い、そのままひっかかって、とうとう土産物のイカを洗いもせずに裂いて肴(さかな)にして喰った上、方々の農家をたたき起して酒をねだり、山で寝てかえったのだ。翌日一日じゅう腹が痛いと言って寝ていた。
「暗らやみで生イカを食ったもんだから、口のまわりをイカの墨で真黒にしたちゅう、なあ民さん。腹痛たはバチがあたったんだろ」
と、奥さんにからかわれて、民さんは悄気(しょげ)かえっていた。
その民さんがある日ひどく怒っていた。どういうわけか知らない。牛小屋の方で奥さんと何か話していたが、いきなり、
「おれはかえる、ばか野郎。こんなところで誰が働いてやるもんか」
と叫んで、後は「ぶるん、ぶるん」というような音を吐きだしながら、背負枠も牛の綱もそこらに放うりだして、その小柄な肩をすさまじくいからせながら、ちょうど僕は庭先きにいたが、こっちへは眼もくれずに小屋へ入って行った。奥さんは苦(に)が笑いをしていた。
民さんと昌さんとは仲よしだとばっかり思っていたが、日がたつにつれそうでないことがわかった。時々、夜になってあたりの寝しずまったころ、ふいに庭の向うの小屋から、二人の争う声が聞えた。民さんが力ずくで昌さんを苛(いじ)めるらしい。何か揉(も)み合うような音も聞える。昌さんが「あーア、あーア」という引っ張った悲しげな声をたてる。昌さんは何かといえば、たとえば牛の綱を持たせられたりすると、よほど牛が恐いとみえてこの声をたてる。彼の唯一(ゆいいつ)の抗議のしかただし、また防禦でもあるらしい。
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2006年総括!2007年の抱負
http://meronnpann.exblog.jp/4189372/
2006-12-29T18:40:09+09:00
2006-12-29T18:40:09+09:00
2006-12-29T18:40:09+09:00
meronnpann1i
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激動の一年でした。
来年も激動で感動の一年でありますように!!]]>
自殺問題について
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2006-11-03T10:03:33+09:00
2006-11-03T10:03:33+09:00
2006-11-03T10:03:33+09:00
meronnpann1i
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最近は、自殺が多いからな~~]]>
やっぱマグロでしょ ★★
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2006-11-03T10:02:00+09:00
2006-11-03T10:03:48+09:00
2006-08-14T16:43:19+09:00
meronnpann1i
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予算によるけど、中トロや大トロのどちらかを食べるな~
あのとろっとしたものは最高だよ。
どうするんだ~~~
みんなはどうなのかな?]]>
食物(くいもの)
http://meronnpann.exblog.jp/1134847/
2006-03-08T19:28:12+09:00
2006-03-08T19:28:12+09:00
2006-03-08T19:28:12+09:00
meronnpann1i
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「お雪、すこしお前に読んで聞かせるものが有る……俺(おれ)が済むまで、お前も起きておいで」
こう妻を呼んで言った。お雪は炉辺で独(ひと)り解(ほど)き物(もの)をしていた。小さな夏の虫は何処から来るともなく洋燈(ランプ)の周囲(まわり)に集った。
お雪が鳴らしていた鋏(はさみ)を休めた頃は、十二時近かった。お福や書生は最早前後も知らずに熟睡している頃であった。
「何ですか」
とお雪は不思議そうに夫の机の傍へ来た。
「こういうものを書いた、この手紙はお前にもよく聞いて貰わんけりゃ成らん」
と言って、三吉は洋燈を机の真中に置直した。彼は平気を装おうとしたが、その実周章(あわて)て了ったという眼付をしていた。声も度を失って、読み始めるから震えた。とはいえ、彼はなるべく静かに、解り易(やす)く読もうとした。
お雪は耳を※(そばだ)てた。
「甚(はなは)だ唐突ながら一筆申上候(そうろう)……かねてより御噂(うわ)さ、蔭乍(なが)ら承り居り候。さて、未だ御目にかからずとは申しながら腹蔵なく思うところを書き記し候。此(この)手紙、決して悪(あ)しき心を持ちて申上ぐるには候わず。何卒々々心静かに御覧下されたく候……」
お雪は鋭く夫の顔を眺めて、復た耳を澄ました。
「実は、君より妻へ宛(あ)てたる御書面、また妻より君へ宛てたる手紙、不図(ふと)したることより生の目に触れ、一方には君の御境遇をも審(つまびらか)にし、一方には……妻の心情をも酌取(くみと)りし次第に候……」
お雪は耳の根元までも紅(あか)く成った。まだ世帯慣れない手で顔を掩(おお)うようにして、机に倚凭(よりかか)りながら聞いた。
「斯(か)く申す生こそは幾多の辛酸にも遭遇しいささか人の情(なさけ)を知り申し候……されば世にありふれたる卑しき行のように一概に君の涙を退くるものとのみ思召(おぼしめ)さば、そは未だ生を知らざるにて候……否……否……」
どうかすると三吉の声は沈み震えて、お雪によく聞取れないことがあった。
「斯(か)く君の悲哀(かなしみ)を汲(く)み、お雪の心情をも察するに、添い遂げらるる縁(えにし)とも思われねば、一旦は結びたる夫婦の契(ちぎり)を解き、今迄(まで)を悲しき夢とあきらめ、せめては是世(このよ)に君とお雪と及ばず乍ら自身媒妁(ばいしゃく)の労を執って、改めて君に娶(めあわ)せんものと決心致し、昨夜、一昨夜、殆ど眠らずして其(その)方法を考え申候……ここに一つの困難というは、君も知り給う名倉の父の気質に候。彼是(かれこれ)を考うれば、生が苦心は水の泡(あわ)にして、反(かえ)って君の名を辱(はずかし)むる不幸の決果を来さんかとも危まれ候……」
暫時(しばらく)、部屋の内は寂(しん)として、声が無かった。
「ああ君と、お雪と、生と――三人の関係を決して軽きこととも思われず候。世間幾多の青年の中には、君と同じ境遇に苦む人も多からん。新しき家庭を作りて始めて結婚の生涯を履(ふ)むものの中には、あるいは又生と同じ疑問に迷うものもあらん。斯(かか)ることを書き連ね、身の恥を忘れ、愚かしき悲嘆(なげき)を包むの暇(いとま)もなきは、ひとえに君とお雪とを救わんとの願に外ならず候。あわれむべきはお雪に候。君もし真にお雪を思うの厚き情(なさけ)もあらば、願わくは友として生に交らんことを許し給え……三人の新しき交際――これぞ生が君に書き送る願なれば。今後吾家庭の友として、喜んで君を迎えんと思い立ち候。思うに君は春秋に富まるるの身、生とても同じ。一旦の悲哀よりして互に終生を棄つるなく、他日手を執りて今日を追想し、胸襟(きょうきん)を披(ひら)いて相語るの折もあらば、これに過ぎたる幸はあらじと存じ候……」
この勉へ宛てた手紙を読んで了った時、三吉は何か事業(しごと)でも済ましたように、深い溜息(ためいき)を吐(つ)いた。お雪は畳の上に突伏(つっぷ)したまま、やや暫時(しばらく)の間は頭を揚げ得なかった。
「オイ、そんなことをしていたって仕様が無い。この手紙は皆なの寝てるうちに出して了おう」
と三吉は慰撫(なだ)めるように言って、そこに泣倒れたお雪を助け起した。郵便函(ポスト)は共同の掘井戸近くに在った。三吉は妻を連れて、その手紙を出しながら一緒にそこいらを歩いて来ようと思った。
お福や書生の眼を覚ませまいとして、夫婦は盗むように家の内を歩いた。表の戸を開けてみると、屋外(そと)は昼間のように明るかった。燐(りん)のような月の光は敷居の直ぐ側まで射して来ていた。
裏の流は隣の竹藪(たけやぶ)のところで一度石の間を落ちて、三吉の家の方へ来て復た落ちている。水草を越して流れるほど勢の増した小川の岸に腰を曲(かが)めて、三吉は寝恍(ねぼ)けた顔を洗った。そして、十一時頃に朝飯と昼飯とを一緒に済ました。彼は可恐(おそろ)しい夢から覚めたように、家の内を眺め廻した。
口では思うように言えないからと言って、お雪が手紙風に書いた物を夫の許へ持って来た頃は、書生も水泳(およぎ)に行って居なかった。お雪が三吉に見てくれというは、種々(いろいろ)止(や)むを得ない事情から心配を掛けて済まなかった、自分は最早どうでも可いというようなそんな量見で嫁いて来たものでは無い、自分は自分相応の希望を有(も)って親の家を離れて来た、という意味が認めてある。猶(なお)、勉へ宛てて最後の断りの手紙を書いたから、それだけは許してくれ、としてある。
「なにも、俺は断れと言ってあんな手紙を書いたんじゃない。お前なんかそう取るからダメだ」と三吉は言ってみた。「福ちゃんの旦那さんに成ろうという人じゃないか……行く行くは吾儕(われわれ)の弟じゃないか……」
お雪は答えなかった。
冷(すず)しい風の来るところを択んで、お福は昼寝の夢を貪(むさぼ)っていた。南向の部屋の柱に倚凭(よりかか)りながら、三吉はお雪から身上(みのうえ)の話を聴取ろうと思った。夫婦は不思議な顔を合せた――今まで合せたことのない顔を合せた――結婚する前には、互に遠くの方でばかり眺めていたような顔を……
「勉さんとお前とはどういう関係に成っていたのかネ」三吉は何気なく言出した。
「どういうとは?」とお雪はすこし顔を紅めて。
「家の方でサ。そういうことはズンズン話して聞かせる方が可い」
その時、三吉は妻の口から、勉と彼女とは親が認めた間柄であること、夫婦約束を結ばせたではないが親達の間だけにそういう話のあったこと、店の番頭に邪魔するものが有って、あること無いこと言い触らして、その為に勉の方の話は破れたことなどを聞いた。
済んだことは済んだこと、こう妻は言い消して了おうとした。夫はそれでは済まされなかった。
寂しい心が三吉の胸の中に起って来た。その心は、女をいたわるということにかけて、自分もまた他の男に劣るものではないということを示させようとした。その日、三吉は種々と細君の機嫌(きげん)を取った。機嫌を取りながら、悶(もだ)えた。
間もなく勉から返事が来た。一通は三吉へ宛て、一通はお雪へ宛ててあった。お雪へ宛てては、「自分の為に君にまで迷惑を掛けて気の毒なことをした、君に咎(とが)むべきことは一つも無い、何卒(どうか)自分にかわって君から詫(わび)をしてくれよ」という意味が書いてある。お雪はその手紙を読んで泣いた。
月を越えて、三吉の家では一人の珍客を迎えた。三吉は停車場まで行って、背の高い、胡麻塩(ごましお)の鬚(ひげ)の生えた、質素な服装(みなり)をした老人を旅客の群の中に見つけた。この老人が名倉の父であった。
「まあ、阿父(おとっ)さん……」
とお雪も門に出て迎えた。
名倉の父は、二人の姉娘に養子して、今では最早余生を楽しく送る隠居である。強い烈(はげ)しい気象、実際的な性質、正直な心――そういうものはこの老人の鋼鉄のような額に刻み付けてあった。一代の中に幾棟(いくむね)かの家を建て、大きな建築を起したという人だけあって、ありあまる精力は老いた体躯(からだ)を静止(じっと)さして置かなかった。愛する娘のお雪が、どういう壮年(わかもの)と一緒に、どういう家を持ったか、それを見ようとして、遙々(はるばる)遠いところを出掛けて来たのであった。
「先ずこれで安心しました」
と老人はホッと息を吐(つ)くように言った。
南向の部屋の柱には、新しい時計が懸った。そして音がし出した。若夫婦へ贈る為に、わざわざ老人が東京から買って提(さ)げて来たのである。これは母から、これは名倉の姉から、これは※の姉から、と種々な土産物(みやげもの)がそこへ取出された。
煤(すす)けた田舎風の屋(うち)の内(なか)を見て廻った後、老人は奥の庭の見える座敷に粗末な膳(ぜん)を控えた。お雪やお福のいそいそと立働くさまを眺めたり、水車の音を聞いたりしながら、手酌でちびりちびりやった。
「何卒(どうぞ)もうすこしも関(かま)わずに置いて下さい。私はこの方が勝手なんで御座いますから」
と老人が言った。何がなくともお雪の手製(てづくり)のもので、この酒に酔うことを楽みにして来たことなどを話した。
三吉は炉辺へお雪を呼んで、
「何かもうすこし阿爺さんに御馳走(ごちそう)する物はないかい」
「あれで沢山です」とお雪が言う。
「こんな田舎じゃ何物(なんに)も進(あ)げるようなものが無い。罐詰(かんづめ)でも買いにやろうか」
「宜(よ)う御座んすよ。それに、阿爺さんは後から何か持って行ったって、頂きやしません」
幼少の時父に別れた三吉は、こういう老人が訪ねて来たことを珍しく嬉しく思った。父というものは彼がよく知らないようなもので有った。三吉が何時(いつ)までも亡くなった忠寛を畏(おそ)れているように、お雪やお福は又、この老人を畏れた。
名倉の父は二週間ばかり逗留(とうりゅう)して、東京の学校の方へ帰るお福を送りながら、一緒に三吉の家を発(た)って行った。この老人は橋本の姉や小泉の兄の方に無いようなものを後へ残して行った。そして、亡くなった忠寛が手本を残しておいた家の外(ほか)に、全く別の技師が全く別の意匠で作った家もある、ということを三吉に思わせた。「こんな書籍(ほん)を並べて置いたって、売ると成れば紙屑(かみくず)の値段(ねだん)だ」――こう言うほど商人気質(しょうにんかたぎ)の父ではあったが、しかし三吉はこの老人の豪健な気象を認めずにはいられなかった。
翌年の五月には、三吉夫婦はお房という女の児(こ)の親であった。書生は最早居なかった。手の無い家のことで、お雪は七夜(しちや)の翌日から起きて、子供の襁褓(むつき)を洗った。その年の初夏ほど、三吉も寂しい旅情を経験したことは無かった。奥の庭には古い林檎の樹があって、軒に近い枝からは可憐(かれん)の花が垂下った。蜜蜂(みつばち)も来て楽しい羽の音をさせた。すべての物の象(かたち)は、始めて家を持った当時の光景(ありさま)に復(かえ)って来た。
「俺の家は旅舎(やどや)だ――お前は旅舎の内儀(おかみ)さんだ」
「では、貴方は何ですか」
「俺か。俺はお前に食物(くいもの)をこしらえて貰ったり、着物を洗濯して貰ったりする旅の客サ」
「そんなことを言われると心細い」
「しかし、こうして三度々々御飯を頂いてるかと思うと、難有(ありがた)いような気もするネ」
こんな言葉を夫婦は交換(とりかわ)した。
ヒョイヒョイヒョイヒョイと夕方から鳴出す蛙の声は余計に旅情をそそるように聞える。それを聞くと、三吉は堪え難いような目付をして、家の内を歩き廻った。
新婚の当時のことは未だ三吉の眼にあった。東京を発って自分の家の方へ向おうとする旅の途中――岡――躑躅(つつじ)――日の光の色――何もかも、これから新しい生涯に入ろうとするその希望で輝かないものは無かった。洋燈(ランプ)の影で書籍(ほん)を読みながら聞いた未だ娘のような妻の呼吸――それも三吉の耳にあった。彼は女というものを知りたいと思うことが深かったかわりに、失望することも大きかったのである。
どうかすると、三吉は往時(むかし)の漂泊時代の心に突然帰ることが有った。お雪が勝手をする間、子供を預けられて、それを抱きながら家の内を歩いている時、急に子も置き、妻も置いて、自分の家を出て了おうかしらん、こんな風に胸を突いて湧(わ)き上って来ることも有った。
「好い児だ――好い児だ――ねんねしな――」
眠たい子守歌をお房に歌ってやりながら三吉は自分の声に耳を澄ました。お雪はよく働いた。
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燈火(あかり)
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2006-03-08T19:27:52+09:00
2006-03-08T19:27:52+09:00
2006-03-08T19:27:52+09:00
meronnpann1i
未分類
夫の好きな新しい野菜を料理して、帰りを待っていたお雪は、家のものを蒐(あつ)めて夕飯にしようとした。土地で「雪割(ゆきわれ)」と称(とな)えるは、莢豌豆(さやえんどう)のことで、その実の入った豆を豚の脂(あぶら)でいためて、それにお雪は塩を添えたものを別に夫の皿へつけた。彼女は夫の喜ぶ顔を見たいと思った。
「頂戴(ちょうだい)」
とお福や書生は食い始めた。三吉は悪い顔色をして、折角お雪が用意したものを味おうともしなかった。
「今日は碌(ろく)に召上らないじゃ有りませんか……」
と言って、お雪は萎(しお)れた。
その晩、三吉は遅くまで机に対って、書籍(ほん)を開けて見たが、彼が探そうと思うようなものは見当らなかった。復た夜通し考え続けた。名倉の母へ手紙でも書こうか、お雪の親しい友達に相談しようか、と思い迷った。
錯乱した頭脳(あたま)は二晩ばかり眠らなかった為に、余計に疲れた。彼はお雪と勉の愛を心にあわれにも思った。ブラリと家を出て、復た日の暮れる頃まで彷徨(うろつ)いた三吉は、離縁という思想(かんがえ)を持って帰って来た。もし出来ることなら、自分が改めて媒妁(ばいしゃく)の労を執って、二人を添わせるように尽力しよう、こんなことまで考えて来た。
家出――漂泊――死――過去ったことは三吉の胸の中を往(い)ったり来たりした。「自分は未だ若い――この世の中には自分の知らないことが沢山ある」この思想(かんがえ)から、一度破って出た旧(ふる)い家へ死すべき生命(いのち)も捨てずに戻って来た。その時から彼はこの世の艱難(かんなん)を進んで嘗(な)めようとした。艱難は直に来た。兄の入獄、家の破産、姉の病気、母の死……彼は知らなくても可いようなことばかり知った。一縷(いちる)の望は新しい家にあった。そこで自分は自分だけの生涯を開こうと思った。東京を発(た)つ時、稲垣が世帯持の話をして、「面白いのは百日ばかりの間ですよ」と言って聞かせたが、丁度その百日に成るか成らないかの頃、最早自分の家を壊そうとは三吉も思いがけなかった。
倒死(のたれじに)するとも帰るなと堅く言ってよこしたという名倉の父の家へ、果してお雪が帰り得るであろうか。それすら疑問であった。お雪は既に入籍したものである。法律上の解釈は自分等の離縁を認めるであろうか。それも覚束(おぼつか)なかった。三吉はある町に住む弁護士の智慧(ちえ)を借りようかとまで迷った。蚊屋(かや)の内へ入って考えた。夏の夜は短かかった。
三吉は家を出た。彼の足は往時(むかし)自分の先生であったという学校の校長の住居(すまい)の方へ向いた。古い屋敷風の門を入って、裏口へ廻ってみると、向の燕麦(からすむぎ)を植えた岡の上に立ってしきりと指図(さしず)をしている人がある。その人が校長だ。先生は三吉を見つけて、岡を下りて来た。先生の家では学校の小使を使って可成(かなり)大きな百姓ほど野菜を作っていた。
師はやがて昔の弟子(でし)を花畠に近い静かな書斎の方へ導いた。最早入歯をする程の年ではあったが、気象の壮(さか)んなことは壮年(わかもの)にも劣らなかった。長い立派な髯(ひげ)は余程白く成りかけていた。この阿爺(おと)さんとも言いたいような、親しげな人の顔を眺めて、三吉は意見を聞いてみようとした。他(ひと)に相談すべき事柄では無いとも思ったが、この先生だけには簡単に話して、どう自分の離縁に就(つい)て考えるかを尋ねた。先生は三吉の為に媒妁の労を執(と)ってくれた大島先生のそのまた先生でもある。
雅致のある書斎の壁には、先生が若い時の肖像と、一番最初の細君の肖像とが、額にして並べて掛けてあった。
「そんなことは駄目です」と先生は昔の弟子の話を聴取(ききと)った後で言った。「我輩のことを考えてみ給え――我輩なぞは、君、三度も家内を貰った……最初の結婚……そういう若い時の記憶は、最早二度とは得られないね。どうしても一番最初に貰った家内が一番良いような気がするね。それを失うほど人間として不幸なことは無い。これはまあ極く正直な御話なんです……」
三吉は黙って先生の話を聞いていた。先生は往時(むかし)戦争にまで出たことのある大きな手で、種々(いろいろ)な手真似(てまね)をして、
「君なぞも、もっと年をとってみ給え、必(きっ)と我輩の言うことで思い当ることが有るから……我輩はソクラテスで感心してることが有る。ソクラテスの細君と言えば、君、有名な箸(はし)にも棒にも掛らないような女だ……それをジッと辛抱した……一生辛抱した……ナカナカあの真似はできないね……あそこが我輩はあの哲学者の高いところじゃないかと思うね」
先生の話は宗教家のような口調を帯びて来た。そして、種々なところへ飛んで、自分の述懐に成ったり、亜米利加(アメリカ)時代の楽しい追想に成ったりする。
「亜米利加の婦人なぞは、そこへ行くと上手なものだ。以前に相愛の人でも、自分の夫に紹介して、奇麗に交際して行く―― 'He is my lover' なんて……それは君、サッパリしたものサ。日本の女もああいかんけりゃ面白くないね」
訪ねて来た客があったので、先生は他の話に移った。
「まあ、小泉さん、よく考えてご覧なさい」という言葉を聞いて、三吉は旧師の門を出た。一歩(ひとあし)家の方へ踏出してみると復た堪え難い心に復(かえ)った。三吉は自分の家の草屋根を見るのも苦しいような気がした。
家にはお雪が待っていた。何処(どこ)までも夫を頼みにして、機嫌(きげん)を損(そこ)ねまいとしているような、若い妻の笑顔は、余計に三吉の心を苦めた。
燈火(あかり)の点(つ)く頃まで、三吉は自分の部屋に倒れていた。
「オイ、手拭(てぬぐい)を絞って持って来てくれ」
こう夫から言付けられて、お雪は一度流許(ながしもと)へ行って、戻って来た。あおのけに畳の上に倒れている夫の胸は浪打(なみう)つように見えた。
「まあ、どうなすったんですか」
と言って、お雪は夫の胸の上へ冷い手拭を宛行(あてが)った。
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沈着(おちつ)
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2006-03-08T19:27:32+09:00
2006-03-08T19:27:32+09:00
2006-03-08T19:27:32+09:00
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三吉が通っている学校は、私人の経営から町の事業に移りかけているような時で、夏休というものもお福の学校の半分しかなかった。お福の学校では二月の余も休んだ。裏の畠(はたけ)の野菜も勢よく延びて、馬鈴薯(じゃがいも)の花なぞが盛んに白く咲く頃には、漸(ようや)く三吉も暇のある身(からだ)に成った。
三吉は新(あらた)に妹が一人増(ふ)えたことをめずらしく思った。読書の余暇には、彼も家のものの相手に成って、この妹を款待(もてな)そうとした。お雪は写真の箱を持出した。
名倉の大きな家族の面影(おもかげ)はこの箱の中に納められてあった。風通しの好い南向の部屋で、お雪姉妹は集って眺(なが)めた。養子して名倉の家を続(つ)いだ一番年長(うえ)の姉、※という店を持って分れて出た次の姉、こういう人達の写真も出て来る度(たび)に、お雪は妹と生家(さと)の噂(うわさ)をした。お福の下にまだ妹が二人あった。その写真も出て来た。姉達の子供を一緒に撮(と)ったのもあった。この写真の中には、お雪が乳母と並んで撮った極く幼い時から、娘時代に肥った絶頂かと思われる頃まで、その時その時の変遷(うつりかわり)を見せるようなものがあった。中には、東京の学校に居る頃、友達と二人洋傘(こうもり)を持って写したもので、顔のところだけ掻※(かきむし)って取ったのもあった。
三吉の方の写真も出て来た。お雪は妹に指して見せて、この帽子を横に冠ったのは三吉が東京へ出たばかりの時、その横に前垂を掛けているのが宗蔵、中央(まんなか)に腰掛けて帽子を冠っている少年が橋本の正太、これが達雄、これが実、後に襟巻(えりまき)をして立ったのが森彦などと話して聞かせた。
「どうです、この兄さんは可愛らしいでしょう」
と三吉もそこへ来て、自分がまだ少年の頃、郷里(くに)から出て来た幼友達と浅草の公園で撮ったという古い写真を出して、お福に見せた。
「まあ、これが兄さん?」とお福は眺めて、「これは可愛らしいが、何だか其方(そっち)はコワいようねえ」
お雪も笑った。お福がコワいようだと言ったは、三吉の学校を卒業する頃の写真で、熟(じっ)と物を視(み)つめたような眼付に撮れていた。
お雪が持って来た写真の中には、女の友達ばかりでなく、男の知人(しりびと)から貰ったのも有った。名だけ三吉も聞いたことの有る人のもあり、全く知らない青年の面影(おもかげ)もあった。
「勉さんねえ」
とお福は名倉の店に勤めている人のを幾枚か取出して眺めた。
「福ちゃん」
とお雪は妹を呼んだ。返事が無かった。お福はよく上(あが)り端(はな)の壁の側や物置部屋の風通しの好いところを択(えら)んで、独(ひと)りで読書(よみかき)するという風であったが、何処(どこ)にも姿が見えなかった。
「福ちゃん」
と復(ま)たお雪は呼んで探してみた。
南向の部屋の外は垣根に近い濡縁(ぬれえん)で、そこから別に囲われた畠の方が見える。深い桑の葉の蔭に成って、妹の居る処は分らなかったが、返事だけは聞える。
お雪は入口の庭から裏の方へ廻って、生い茂った桑畠の間を通って、莢豌豆(さやえんどう)の花の垂れたところへ出た。高い枯枝に纏(まと)い着いた蔓(つる)からは、青々とした莢が最早(もう)沢山に下っていた。
「福ちゃん、福ちゃんッて、探してるのに――そんなところに居たの」こうお雪が声を掛けた。
お福は畠の間から姉の方を見て、「今ね――一寸(ちょっと)裏へ出て見たら、あんまり好く生(な)ってるもんだから。すこし取って行って進(あ)げようと思って」
「そう……好く生ったことね」と言ってお雪も摘取りながら、「福ちゃん、此頃(こないだ)姉さんと約束したもの……あれを書いておくれナ。母親(おっか)さんの許(ところ)へ手紙を出すんだから――」
「姉さん、そんなに急がなくたって可(い)いわ」
「だって、どうせ出す序(ついで)だもの」
「それもそうね」と言ってお福は姉の傍へ寄った。
妹は自分で摘取った莢を姉の前垂の中へあけて、やがて畠を出て行った。お雪はそこに残っていた。
桑の葉を押分けて、復たお雪が入口の庭の方へ戻って行った頃は、未だ妹は引込んで書いていた。お雪は炉辺の食卓の上に豆の莢を置いて、一つずつその両端を摘切った。
お福は下書を持って静かな物置部屋の方から出て来た。
「姉さん、これで可(よ)くッて?」とお福は書いたものを姉に見せて言った。
「もうすこし丁寧にお書きな」とお雪が言った。
「だって、どう書いて好いか解らないんですもの」と妹は首を傾(かし)げて、娘らしい微笑(えみ)を見せた。
お福は姉の勧めに従って、勉と結婚することを堅く約束する、それを楽みにして卒業の日を待つ、という意味を認(したた)めて、お雪に渡した。お雪は名倉の母へ宛(あ)てた手紙の中へこの妹に書かせたものを同封して送ることにした。
名倉の母からは、お福が行って世話に成るという手紙と一緒に、菓子の入った小包が届いた。遠く離れた母の手紙を読むことは、お雪に取って何よりの楽みであった。お雪はその返事を書いたのである。序に妹のことをも書き加えたのである。
お雪の許へ宛てて勉からは度々(たびたび)文通が有る。復たお雪は受取った。彼女は勉から来る手紙の置場所に困った。
ある日、三吉は勉からお雪へ宛てた手紙を他の郵便と一緒に受取った。
「勉さんからはよく手紙が来るネ」
こう三吉はお雪を呼んで言って、何気なくその手紙を妻の手に渡した。
どういう事柄が書かれてあるにもせよ、それを聞こうともしなかった程、三吉は人の心を頼んでいた。こういう文通の意味を略(ほぼ)彼も想像しないではなかった。しかし、それに驚かされる年頃でもなかった。彼は、自分が種々なところを通り越して来たように、妻もまた種々なところを通り越して、そして嫁(かたづ)いて来たものと思っていた。お雪も最早二十二に成る。こうして種々な手紙が新しい家まで舞込んで来るのは、別に三吉には不思議でもなかった。唯、妻が自己(おのれ)の周囲(まわり)を見過(みあやま)らないで、従順(すなお)に働いてくれさえすればそれで可い、こう思った。彼には心を労しなければ成らないことが他に沢山有った。
畠の野菜にもそれぞれ手入をすべき時節であった。三吉は鍬(くわ)を携えて、成長した葱(ねぎ)などを見に行った。百姓の言葉でいう「サク」は最早何度かくれた。見廻る度に延びている葱の根元へは更に深く土を掛けて、それから馬鈴薯の手入を始めた。土を掘ってみると、可成(かなり)大きな可愛らしいやつが幾個(いくつ)となく出て来た。
「ホウ、ホウ」
と三吉は喜んで眺(なが)めた。
裏の流で取れただけの馬鈴薯を洗って、三吉は台所の方へ持って行って見せた。お雪もめずらしそうに眺めた。新薯は塩茹(しおゆで)にして、食卓の上に置かれた。家のものはその周囲(まわり)に集って、自分達の手で造ったものを楽しそうに食ったり、茶を飲んだりした。
その晩、三吉はお福や書生を奥の部屋へ呼んで、骨牌(トランプ)の相手に成った。黄ばんだ洋燈(ランプ)の光は女王だの兵卒だのの像を面白そうに映して見せた。お福はよく勝つ方で、兄や若い書生には負けずに争った。お雪も暫時(しばらく)仲間入をしたが、やがてすこし頭が痛いと言って、その席を離れた。
炉辺(ろばた)の洋燈は寂しそうに照していた。何となくお雪は身体が倦(だる)くもあった。毎月あるべき筈(はず)のものも無かった。尤(もっと)も、さ程気に留めてはいなかったので、炉辺で独(ひと)り横に成ってみた。
奥の部屋では楽しい笑声が起った。一勝負済んだと見えた。復た骨牌が始まった。頭の軽い痛みも忘れた頃、お雪は食卓の上に巻紙を展(ひろ)げた。彼女は勉への返事を書いた。つい家のことに追われて、いそがしく日を送っている……この頃の御無沙汰(ごぶさた)も心よりする訳では無いと書いた。妹との結婚を承諾してくれて、自分も嬉しく思うと書いた。恋しき勉様へ……絶望の雪子より、と書いた。
この返事をお雪は翌日(あくるひ)まで出さずに置いた。折を見て、封筒の宛名だけ認(したた)めて、肩に先方(さき)から指してよこした町名番地を書いた。表面(おもて)だって交換(とりか)わす手紙では無かったからで。お雪は封筒の裏に自分の名も書かずに置いた。箪笥(たんす)の上にそれを置いたまま、妹を連れて、鉄道の踏切からずっとまだ向の崖下(がけした)にある温泉へ入浴(はいり)に行った。
ふと、この裏の白い手紙が三吉の目に着いた。不思議に思って、開けてみた。一度読んだ。気を沈着(おちつ)けて繰返してみた。彼は自分で抑えることもどうすることも出来ない力のままに動いた。知らないでいる間は格別、一度こういう物が眼に触れた以上は、事の真相を突留めずにいられなかったのである。つと箪笥の引出を開けてみた。針箱も探してみた。櫛箱(くしばこ)の髢(かもじ)まで掻廻(かきまわ)してみた。台所の方へも行ってみた。暗い入口の隅(すみ)には、空いた炭俵の中へ紙屑(かみくず)を溜(た)めるようにしてあった。三吉は裏口の柿の樹の下へその炭俵をあけた。隣の人に見られはせぬか、女連(おんなれん)は最早(もう)帰りはせぬか、と周囲(あたり)を見廻したり、震えたりした。
勉が手紙の片(きれ)はその中から出て来た。その時、三吉はこの人の熱い情を読んだ。若々しい、心の好さそうな、そして気の利(き)いた勉の人となりまでも略(ほぼ)想像された。温泉に行った人達の帰りは近づいたらしく思われた。読んだ手紙は元の通りにして、妻が帰って来て見ても、ちゃんと箪笥の上に在(あ)るようにして置いた。
お雪とお福の二人は洋傘(こうもり)を持って入って来た。お雪は温泉場の前に展(ひら)けた林檎畠(りんごばたけ)、青々と続いた田、谷の向に見える村落、それから山々の眺望の好かったことなどを、妹と語り合って、復た洗濯物を取込むやら、夕飯の仕度に掛るやらした。
やがて家のものは食卓の周囲(まわり)に集った。お雪は三吉と相対(さしむかい)に坐って、楽しそうに笑いながら食った。彼女の眼は柔順と満足とで輝いていた。時々三吉は妻の顔を眺めたが、すこしも変った様子は無かった。三吉は平素(いつも)のように食えなかった。
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