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食物(くいもの)

 翌晩、三吉は机に対(むか)って紙を展(ひろ)げた。遅くまで書いた。書生は部屋の洋燈(ランプ)を消し、お福も寝床へ入りに行ったが、未だ三吉は書いていた。
「お雪、すこしお前に読んで聞かせるものが有る……俺(おれ)が済むまで、お前も起きておいで」
 こう妻を呼んで言った。お雪は炉辺で独(ひと)り解(ほど)き物(もの)をしていた。小さな夏の虫は何処から来るともなく洋燈(ランプ)の周囲(まわり)に集った。
 お雪が鳴らしていた鋏(はさみ)を休めた頃は、十二時近かった。お福や書生は最早前後も知らずに熟睡している頃であった。
「何ですか」
 とお雪は不思議そうに夫の机の傍へ来た。
「こういうものを書いた、この手紙はお前にもよく聞いて貰わんけりゃ成らん」
 と言って、三吉は洋燈を机の真中に置直した。彼は平気を装おうとしたが、その実周章(あわて)て了ったという眼付をしていた。声も度を失って、読み始めるから震えた。とはいえ、彼はなるべく静かに、解り易(やす)く読もうとした。
 お雪は耳を※(そばだ)てた。
「甚(はなは)だ唐突ながら一筆申上候(そうろう)……かねてより御噂(うわ)さ、蔭乍(なが)ら承り居り候。さて、未だ御目にかからずとは申しながら腹蔵なく思うところを書き記し候。此(この)手紙、決して悪(あ)しき心を持ちて申上ぐるには候わず。何卒々々心静かに御覧下されたく候……」
 お雪は鋭く夫の顔を眺めて、復た耳を澄ました。
「実は、君より妻へ宛(あ)てたる御書面、また妻より君へ宛てたる手紙、不図(ふと)したることより生の目に触れ、一方には君の御境遇をも審(つまびらか)にし、一方には……妻の心情をも酌取(くみと)りし次第に候……」
 お雪は耳の根元までも紅(あか)く成った。まだ世帯慣れない手で顔を掩(おお)うようにして、机に倚凭(よりかか)りながら聞いた。
「斯(か)く申す生こそは幾多の辛酸にも遭遇しいささか人の情(なさけ)を知り申し候……されば世にありふれたる卑しき行のように一概に君の涙を退くるものとのみ思召(おぼしめ)さば、そは未だ生を知らざるにて候……否……否……」
 どうかすると三吉の声は沈み震えて、お雪によく聞取れないことがあった。
「斯(か)く君の悲哀(かなしみ)を汲(く)み、お雪の心情をも察するに、添い遂げらるる縁(えにし)とも思われねば、一旦は結びたる夫婦の契(ちぎり)を解き、今迄(まで)を悲しき夢とあきらめ、せめては是世(このよ)に君とお雪と及ばず乍ら自身媒妁(ばいしゃく)の労を執って、改めて君に娶(めあわ)せんものと決心致し、昨夜、一昨夜、殆ど眠らずして其(その)方法を考え申候……ここに一つの困難というは、君も知り給う名倉の父の気質に候。彼是(かれこれ)を考うれば、生が苦心は水の泡(あわ)にして、反(かえ)って君の名を辱(はずかし)むる不幸の決果を来さんかとも危まれ候……」
 暫時(しばらく)、部屋の内は寂(しん)として、声が無かった。
「ああ君と、お雪と、生と――三人の関係を決して軽きこととも思われず候。世間幾多の青年の中には、君と同じ境遇に苦む人も多からん。新しき家庭を作りて始めて結婚の生涯を履(ふ)むものの中には、あるいは又生と同じ疑問に迷うものもあらん。斯(かか)ることを書き連ね、身の恥を忘れ、愚かしき悲嘆(なげき)を包むの暇(いとま)もなきは、ひとえに君とお雪とを救わんとの願に外ならず候。あわれむべきはお雪に候。君もし真にお雪を思うの厚き情(なさけ)もあらば、願わくは友として生に交らんことを許し給え……三人の新しき交際――これぞ生が君に書き送る願なれば。今後吾家庭の友として、喜んで君を迎えんと思い立ち候。思うに君は春秋に富まるるの身、生とても同じ。一旦の悲哀よりして互に終生を棄つるなく、他日手を執りて今日を追想し、胸襟(きょうきん)を披(ひら)いて相語るの折もあらば、これに過ぎたる幸はあらじと存じ候……」
 この勉へ宛てた手紙を読んで了った時、三吉は何か事業(しごと)でも済ましたように、深い溜息(ためいき)を吐(つ)いた。お雪は畳の上に突伏(つっぷ)したまま、やや暫時(しばらく)の間は頭を揚げ得なかった。
「オイ、そんなことをしていたって仕様が無い。この手紙は皆なの寝てるうちに出して了おう」
 と三吉は慰撫(なだ)めるように言って、そこに泣倒れたお雪を助け起した。郵便函(ポスト)は共同の掘井戸近くに在った。三吉は妻を連れて、その手紙を出しながら一緒にそこいらを歩いて来ようと思った。
 お福や書生の眼を覚ませまいとして、夫婦は盗むように家の内を歩いた。表の戸を開けてみると、屋外(そと)は昼間のように明るかった。燐(りん)のような月の光は敷居の直ぐ側まで射して来ていた。
 

 裏の流は隣の竹藪(たけやぶ)のところで一度石の間を落ちて、三吉の家の方へ来て復た落ちている。水草を越して流れるほど勢の増した小川の岸に腰を曲(かが)めて、三吉は寝恍(ねぼ)けた顔を洗った。そして、十一時頃に朝飯と昼飯とを一緒に済ました。彼は可恐(おそろ)しい夢から覚めたように、家の内を眺め廻した。
 口では思うように言えないからと言って、お雪が手紙風に書いた物を夫の許へ持って来た頃は、書生も水泳(およぎ)に行って居なかった。お雪が三吉に見てくれというは、種々(いろいろ)止(や)むを得ない事情から心配を掛けて済まなかった、自分は最早どうでも可いというようなそんな量見で嫁いて来たものでは無い、自分は自分相応の希望を有(も)って親の家を離れて来た、という意味が認めてある。猶(なお)、勉へ宛てて最後の断りの手紙を書いたから、それだけは許してくれ、としてある。
「なにも、俺は断れと言ってあんな手紙を書いたんじゃない。お前なんかそう取るからダメだ」と三吉は言ってみた。「福ちゃんの旦那さんに成ろうという人じゃないか……行く行くは吾儕(われわれ)の弟じゃないか……」
 お雪は答えなかった。
 冷(すず)しい風の来るところを択んで、お福は昼寝の夢を貪(むさぼ)っていた。南向の部屋の柱に倚凭(よりかか)りながら、三吉はお雪から身上(みのうえ)の話を聴取ろうと思った。夫婦は不思議な顔を合せた――今まで合せたことのない顔を合せた――結婚する前には、互に遠くの方でばかり眺めていたような顔を……
「勉さんとお前とはどういう関係に成っていたのかネ」三吉は何気なく言出した。
「どういうとは?」とお雪はすこし顔を紅めて。
「家の方でサ。そういうことはズンズン話して聞かせる方が可い」
 その時、三吉は妻の口から、勉と彼女とは親が認めた間柄であること、夫婦約束を結ばせたではないが親達の間だけにそういう話のあったこと、店の番頭に邪魔するものが有って、あること無いこと言い触らして、その為に勉の方の話は破れたことなどを聞いた。
 済んだことは済んだこと、こう妻は言い消して了おうとした。夫はそれでは済まされなかった。
 寂しい心が三吉の胸の中に起って来た。その心は、女をいたわるということにかけて、自分もまた他の男に劣るものではないということを示させようとした。その日、三吉は種々と細君の機嫌(きげん)を取った。機嫌を取りながら、悶(もだ)えた。


 間もなく勉から返事が来た。一通は三吉へ宛て、一通はお雪へ宛ててあった。お雪へ宛てては、「自分の為に君にまで迷惑を掛けて気の毒なことをした、君に咎(とが)むべきことは一つも無い、何卒(どうか)自分にかわって君から詫(わび)をしてくれよ」という意味が書いてある。お雪はその手紙を読んで泣いた。
 月を越えて、三吉の家では一人の珍客を迎えた。三吉は停車場まで行って、背の高い、胡麻塩(ごましお)の鬚(ひげ)の生えた、質素な服装(みなり)をした老人を旅客の群の中に見つけた。この老人が名倉の父であった。
「まあ、阿父(おとっ)さん……」
 とお雪も門に出て迎えた。
 名倉の父は、二人の姉娘に養子して、今では最早余生を楽しく送る隠居である。強い烈(はげ)しい気象、実際的な性質、正直な心――そういうものはこの老人の鋼鉄のような額に刻み付けてあった。一代の中に幾棟(いくむね)かの家を建て、大きな建築を起したという人だけあって、ありあまる精力は老いた体躯(からだ)を静止(じっと)さして置かなかった。愛する娘のお雪が、どういう壮年(わかもの)と一緒に、どういう家を持ったか、それを見ようとして、遙々(はるばる)遠いところを出掛けて来たのであった。
「先ずこれで安心しました」
 と老人はホッと息を吐(つ)くように言った。
 南向の部屋の柱には、新しい時計が懸った。そして音がし出した。若夫婦へ贈る為に、わざわざ老人が東京から買って提(さ)げて来たのである。これは母から、これは名倉の姉から、これは※の姉から、と種々な土産物(みやげもの)がそこへ取出された。
 煤(すす)けた田舎風の屋(うち)の内(なか)を見て廻った後、老人は奥の庭の見える座敷に粗末な膳(ぜん)を控えた。お雪やお福のいそいそと立働くさまを眺めたり、水車の音を聞いたりしながら、手酌でちびりちびりやった。
「何卒(どうぞ)もうすこしも関(かま)わずに置いて下さい。私はこの方が勝手なんで御座いますから」
 と老人が言った。何がなくともお雪の手製(てづくり)のもので、この酒に酔うことを楽みにして来たことなどを話した。
 三吉は炉辺へお雪を呼んで、
「何かもうすこし阿爺さんに御馳走(ごちそう)する物はないかい」
「あれで沢山です」とお雪が言う。
「こんな田舎じゃ何物(なんに)も進(あ)げるようなものが無い。罐詰(かんづめ)でも買いにやろうか」
「宜(よ)う御座んすよ。それに、阿爺さんは後から何か持って行ったって、頂きやしません」
 幼少の時父に別れた三吉は、こういう老人が訪ねて来たことを珍しく嬉しく思った。父というものは彼がよく知らないようなもので有った。三吉が何時(いつ)までも亡くなった忠寛を畏(おそ)れているように、お雪やお福は又、この老人を畏れた。


 名倉の父は二週間ばかり逗留(とうりゅう)して、東京の学校の方へ帰るお福を送りながら、一緒に三吉の家を発(た)って行った。この老人は橋本の姉や小泉の兄の方に無いようなものを後へ残して行った。そして、亡くなった忠寛が手本を残しておいた家の外(ほか)に、全く別の技師が全く別の意匠で作った家もある、ということを三吉に思わせた。「こんな書籍(ほん)を並べて置いたって、売ると成れば紙屑(かみくず)の値段(ねだん)だ」――こう言うほど商人気質(しょうにんかたぎ)の父ではあったが、しかし三吉はこの老人の豪健な気象を認めずにはいられなかった。
 翌年の五月には、三吉夫婦はお房という女の児(こ)の親であった。書生は最早居なかった。手の無い家のことで、お雪は七夜(しちや)の翌日から起きて、子供の襁褓(むつき)を洗った。その年の初夏ほど、三吉も寂しい旅情を経験したことは無かった。奥の庭には古い林檎の樹があって、軒に近い枝からは可憐(かれん)の花が垂下った。蜜蜂(みつばち)も来て楽しい羽の音をさせた。すべての物の象(かたち)は、始めて家を持った当時の光景(ありさま)に復(かえ)って来た。
「俺の家は旅舎(やどや)だ――お前は旅舎の内儀(おかみ)さんだ」
「では、貴方は何ですか」
「俺か。俺はお前に食物(くいもの)をこしらえて貰ったり、着物を洗濯して貰ったりする旅の客サ」
「そんなことを言われると心細い」
「しかし、こうして三度々々御飯を頂いてるかと思うと、難有(ありがた)いような気もするネ」
 こんな言葉を夫婦は交換(とりかわ)した。
 ヒョイヒョイヒョイヒョイと夕方から鳴出す蛙の声は余計に旅情をそそるように聞える。それを聞くと、三吉は堪え難いような目付をして、家の内を歩き廻った。
 新婚の当時のことは未だ三吉の眼にあった。東京を発って自分の家の方へ向おうとする旅の途中――岡――躑躅(つつじ)――日の光の色――何もかも、これから新しい生涯に入ろうとするその希望で輝かないものは無かった。洋燈(ランプ)の影で書籍(ほん)を読みながら聞いた未だ娘のような妻の呼吸――それも三吉の耳にあった。彼は女というものを知りたいと思うことが深かったかわりに、失望することも大きかったのである。
 どうかすると、三吉は往時(むかし)の漂泊時代の心に突然帰ることが有った。お雪が勝手をする間、子供を預けられて、それを抱きながら家の内を歩いている時、急に子も置き、妻も置いて、自分の家を出て了おうかしらん、こんな風に胸を突いて湧(わ)き上って来ることも有った。
「好い児だ――好い児だ――ねんねしな――」
 眠たい子守歌をお房に歌ってやりながら三吉は自分の声に耳を澄ました。お雪はよく働いた。
by meronnpann1i | 2006-03-08 19:28


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